「極東魔術廃人結社」がくれたもの
・「極東魔術廃人結社」とは
思い返すは高校時代、入学前にお迎えテストがあった。これは今だから言える話だが自分は英語で最下位の点数だった。
そのときに小中学校でクソみたいなぬるま湯に漬かっていたことを思い知らされた。
別に勉強をサボっていた訳でもないのに悲惨な結果だったことから、自分の力では上の大学に入れないことを悟り、入学前から高校生活は遊びつくそうと考えていた。
「極東魔術廃人結社」はそんな中、誕生した。
自分は中学のころからノベルゲームが好きで、「リトルバスターズ!」や「ダンガンロンパ」など、複数の作品をプレイしていた。
アニメについては、キャラの可愛さだけで満足してしまう、いわゆる「萌え豚」だったため、当時は色んな作品を見ていたのを覚えている。
「極東魔術廃人結社」は、そんな自分が中学の友達としょーもないオタク話をする目的で作ったライングループだった。しかし、友達が友達を呼び、気づけばあっという間に最大100人ほどの大規模オタクグループとなってしまっていたのである。
ちなみに、「極東魔術廃人結社」という名前は「中二病でも恋がしたい!」という当時自分がお熱だったアニメの「極東魔術昼寝結社」を元につけたものである。
つまるところ、「極東魔術廃人結社」のグループ創設者も、この痛々しい名前をつけたのも自分なのである。
・衝突を経て
そんなこんなでクソしょーもないオタクトークを毎日朝から晩までしていた訳なのだが、ラインで常時会話をしていたためか、文面では伝わりにくい細かいニュアンスが伝わらずに喧嘩になることも少なくなかった。
当時の自分も、自らキレることこそなかったが、誰かがキレるであろう発言を普通にしてたし、いざキレられると顔真っ赤にしながら本気で喧嘩していた。
歴戦のオタクばかりが集まったグループだったため、自分を含めて刺々しいメンバーは沢山いた。そんなメンバーばかりのグループが、些細なことで喧嘩を始めてしまうことは容易に想像できるであろう。
コミュ障のオタク同士でコミュニケーションを行うことの難しさを本気で痛感した。
加えて自分はリーダーという立ち位置だったため、メンバーから相談や要望を受けることが何度もあった。何とかそれに答えようとはしていたのだが、当の自分も刺々しいコミュ障だったため、空回りしてばかりだった。
そんなぎこちない関係でも、喧嘩をする度に謝罪と反省を繰り返す中で、徐々に互いを理解していった。
いろいろあったが、高校卒業まで活動を続けることが出来た。
かつてのグループメンバーの何人かとは今でも交流があるが、中でも一番喧嘩してた人と未だに付き合いがあるのは凄いことで、クソガキのうちにこういった経験が出来たことは財産だと思う。
他の人にとっては分からないが、自分にとっては一生忘れられないグループなのだ。
なんでいきなりこんな黒歴史を書こうと思ったのかというと、人事の方と面談する機会で、グループワークでのコミュニケーション面について物凄く褒めていただいたからです。
コミュ障改善のきっかけがなんだったか疑問に思って考えてみたんですけど、すぐに答えが出なくて、過去を振り返って見てたどり着いた答えが「極東魔術廃人結社」でした。
「極東魔術廃人結社」があったからこそ、適切なコミュニケーションの取り方が身についたのかなと、振り返ってみて強く感じました。
僕が紆余曲折を経て手に入れたものを人事の方に評価していただけている、ということが素直に嬉しかったです。
僕は自分が「趣味」に救われたと本気で思っているからこそ、面接や会社のスピーチなどの大真面目な場でも「趣味」の話をするし、それが好意的に受け入れられている今のこの環境がとても好きです。
皆さんも、過去の自分を振り返ってみると、何か見えることがあるかもしれません。
ひとつ僕の過去の話をすると、中学の自分から今の自分に送られてきた手紙は、キツすぎて読めたものではありませんでした。
書き出しは、「私見、~~~~~」です。アイタタター
サーシャ=クロイツェフを真似て書かれた、その稚拙な文章を最初に読んだときは、流石にキツかったです。
・おわりに
僕はそのとき感じた気持ちや考えを、あとで振り返るために文章として残しています。
くっそイタイ文章は、中学生の僕にしか書けないのです。
そんな自分用の振り返りメモを、もし1人でも見てくれるなら、それはうれしいことだと思うので、ブログとして公開しています。
自分が書けそうなお題、募集してます。
それではまた。